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ボイド郡()は、アメリカ合衆国ケンタッキー州の北東部に位置する郡である。2010年国勢調査での人口は49,542人であり、2000年の49,752人から0.4%減少した〔Quickfacts.census.gov - Boyd County - accessed 2011-12-06.〕。郡庁所在地はカトレツバーグ市(人口1,856人〔American FactFinder - Catlettsburg, Kentucky - accessed 2011-12-06.〕)であり、同郡で人口最大の都市はアシュランド市(人口21,684人〔Quickfacts.census.gov - Ashland, Kentucky - accessed 2011-12-06.〕)である。 ボイド郡は、ウェストバージニア州とオハイオ州にも跨るハンティントン・アシュランド大都市圏に属しており、2000年時点の都市圏人口は 288,649人だった。1860年に設立された。オハイオ川とビッグサンディ川に近く、州の北東端、広さ160平方マイル (414 km2) の地にある。アパラチア山脈のうねりのある緑に覆われた丘陵地帯に囲まれている。 == 歴史 == ボイド郡はケンタッキー州の郡として120郡中107番目の成立である。1860年に周辺のグリーナップ郡、カーター郡、ローレンス郡の一部を合わせて設立された。郡名は、パデューカ市の出身で、ケンタッキー州選出アメリカ合衆国下院議員、同議長を務め、ケンタッキー州副知事に選出されてから間もない1859年に死亡したリン・ボイドに因んで名付けられた。 ボイド郡となった地域に人類が住んでいた証拠として、人骨や埋葬品の入っていた多くの土盛りマウンドがあり、この地域にインディアンが住んでいたことを示している。1973年の考古学調査で、紀元前2000年に遡る蛇型のマウンドが明らかになった。カトレツバーグ市の南、ビッグサンディ川に並行した尾根に沿って長さ900フィート (270 m) も伸びている。 ボイド郡の初期開拓者の中には、バージニア州から来たチャールズ・スミス(片腕のチャーリー)がいた。1754年にジョージ・ワシントン大佐の下に仕えたフレンチ・インディアン戦争の古参兵だった。スミスは従軍の補償としてチャドウィックス・クリーク沿いの広さ400エーカー (1.6 km2) の土地を受け取り、1774年に丸太小屋を建てた。スミスは1776年に死亡し、1797年にはアレクサンダー・カトレツに土地が渡った。この人物に因んでカトレツバーグの町が名付けられた。 1799年10月、バージニア州スタントンからポージ一家の者が入ってきて、ポージの上陸場を造り、これが後にアシュランドと改名された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ボイド郡 (ケンタッキー州)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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